香りが消えたあとも、そこにあるもの。
個人的に買ったものですが、
フレグランスのボトルを眺めるのが好きです。
香りそのものは目に見えないものなのに、昔の香水瓶には、なぜか強い存在感があります。
ガラスの厚み。少し不均衡な曲線。手の中に収まる大きさ。重さのあるキャップ。光を受けたときの陰影。

そこには、単に香りを保存するための「容器」という以上のものがあります。
古い香水瓶を見ていると、その時代の文化や美意識まで見えてくる。
実際、香水瓶の歴史を辿っていくと、古代のガラスや石の器から、陶磁器、装飾ガラスへとさまざまな素材や技法が使われてきました。香りが価値のあるものとして扱われるほど、その器にも美しさが求められてきたのだと思います。
特に19世紀末から20世紀初頭の香水瓶には、とても想像豊かなものがあります。
アール・ヌーヴォーの時代には、植物や花、昆虫などの有機的な形がボトルの中に取り込まれていきました。
花や植物の姿がガラスの中に閉じ込められているようなものもあります。
昔の香水商は「目に見えない香り」をガラスの造形として表現したりしており
こうしたボトルを見ると、
「昔はよかったな」
というより、
「こんなふうに香りを包んでいたんだ」
と感じます。
香りを入れるためだけではなく、香りと一緒に置かれるものとして。
そこにあること自体が、ひとつの風景になるような気がします。
では、今はどうだろう。
現在のフレグランスは、もちろん昔とは違います。
品質、安全性、表示、流通、製造効率など、商品として成立させるために考えなければならないことはあります。
だから、現代のボトルが単純に「昔よりつまらなくなった」という話ではありません。
むしろ、今のものづくりには、昔とは違う制約や条件がある。
その中で、どうやって「物としての魅力」をつくるのか。
私はそこに、もう少し可能性があるような気がしています。
インテリアとして置きたいボトル。
フレグランスをつくるとき、どうしても最初に考えるのは「香り」です。
どんな植物を使うのか。 どんな香調にするのか。 どんな空間に合うのか。
でも、実際に暮らしの中に置かれるときには、香りだけではありません。
ボトルそのものが空間に存在します。
棚の上に置かれる。
洗面台に置かれる。
ベッドサイドに置かれる。
本や花器、石や木と一緒に置かれる。
そう考えると、フレグランスボトルは、もっと「インテリア」に近い存在でもいいのではないかと思ったりします。
例えば、
香りを使い終わっても捨てたくない。
空になったあとも、オブジェとして残しておきたい。
植物の横に置きたくなる。
光が当たったときのガラスの表情を眺めたくなる。
そんなボトルがあってもいい。
香りは消える。でも、器は残る。
フレグランスのおもしろいところは、 香りが空間に広がり、そして消えていくことです。
目には見えない。
触ることもできない。
それでも、その場にいた人の記憶には残る。
一方で、ボトルは物としてそこに残っています。
この二つは、とても対照的です。
消えていく香りと、残る器。
その間にあるものを、もっと考えて、手を動かしてみたい。
私がフレグランスのボトルについて考えるようになったのは、
そんな理由からです。
植物から香りをつくる。
香りを空間へ放つ。
そして、その香りを包んでいたボトルもまた、
空間の一部になっていく。
植物から始まったものが、
香りになり、器になり、最後には風景になる。
そんなプロダクトがあったら面白いと思っています。
フレグランスは、香りだけをデザインするものではない。
その香りが置かれる場所。 手に取る瞬間。 光との関係。 素材の触感。 そして、使い終わったあとまで。

そこまで含めて考えることで、
フレグランスというものは、もう少し暮らしの中へ深く入り込めるのではないのかなあ〜って。
香りが消えたあとも、そこにあるものっていいなあ〜
。
そんなボトルを、いつかつくってみたいと思っています。




